試行錯誤の社会人1年目のブログ

現在22歳の社会人1年目の思うがままを書いていきます‼︎

無意識にできるようになるまで

 

明けましておめでとうございます(^^)

 

今年もよろしくお願いします(^^)

 

 

さっそくですが、本日は無意識にできることについて。

 

無意識にできることってのは何も考えずに、自然とできることです。

 

本能的に、生まれつきできることと、反復的に同じことを行うことで身につくことがあると思います。

 

 

ただ、私が思うに9割以上のことは反復的に繰り返すことで無意識レベルに達すると思います。

 

私は左利きですが、これは幼い時に反復的に左手を使ってきたからです。

 

一番初めに左手を使うという点に関して言えば本能かもしれませんが、現在左利きなのは反復動作のおかげだと思います。

 

スポーツにおいて、素振りをするのも正しい動作を、無意識にできるようになるためです。

 

はじめは意識しても正しい動作ができず、苦労すると思いますが、工夫を凝らし繰り返し練習することで意識してできるようになり、それが無意識レベルにできるようになります。

 

考え方も同じだと思います。

 

性格などは生まれつき変わらないと言われますが、本能に左右される部分以外にも、育った環境によって反復的に植え付けられる性格もあると思います。

 

 

はじめは自らの性格や思想を変えることにストレスを感じると思います。

 

しかし、はじめは苦しけれど、反復的に練習することではじめはできなかったことができるようになり、いずれは自然とできるようになります。

 

私たちが無意識に日本語を話しているように。

 

 

今年の私の目標は無意識レベルで英語を話せるようになることです(^^)

真面目な人ほどストレスを感じること

 

こんばんは

 

また間あいてしまいましたが、、、

 

 

仕事をサボっている人を見てストレスを感じる人はどういう人か⁇

 

それはたぶん、仕事はサボってはいけないとかんがえるひとであり、サボることはよくないと考える人だと思う。

 

 

逆にサボることは別にわるいことじゃないと考えてる人はなにも思わないだろう。

 

真面目な人ほどポイ捨てを許せないし、遅刻も許せない。

 

でも、真面目であればあるほど「あの人は堅い」だの「ノリが良くない」だの言われて余計ストレスを感じる。

 

それなのに世間一般は「真面目に働きなさい」だのどうのこうの言う。

 

 

よく怒られる人は不真面目な人ではなく、不器用で真面目な人だと思う。

 

逆に評価が高いのは器用で不真面目な人だと思う。

 

 

 

そこで、私は真面目になるのではなく、器用で不真面目になることを目指しています。

 

そして、私自身は器用で真面目であるが、人を評価する時は真面目な人を評価していきたいと思う。

 

なかなか上手にならなくても、どうしたら上手になるか考えながら取り組んでいる人を評価したい。

 

 

他人を変えることはできないけど、自分はかえれると信じて、少しずつ、考え方を変えていきたい。

無駄を省くんじゃなくて必要性を探す

 

こんばんは(^^)

 

シャワーを浴びて清々しい気持ちなので投稿したいと思います。

 

 

「無駄を省く」ことはとても大切だと思います。

 

仕事をしている時、どうしても時間内に終わらない。

上司によく「無駄を省け」と言われるはずです。

 

野球の動作において、全身の力を効率よく伝えるために「無駄な動作を省け」と言われます。

 

部屋が散らかっている時、母親に「無駄なものを捨てなさい」と言われたことがあると思います。

 

無駄をなくせばなくすほど効率よくなりますし、整理もされます。

 

 

今日私が考えたのはこの「無駄」についてです。

 

明らかに無駄なことであったり、無駄な動作、無駄な作業はもちろん省くべきだと思います。

 

しかし、その「無駄」であるかどうかの判断があやふやな時。

 

多くの場合がこれに当たると思います。

 

もしくは多数派は無駄だけど、主観的には無駄ではないと感じる時。

 

これらの場合は無駄だから要らないとするのではなく、必要性について検討することが大事だと思います。

 

仕事において、「この作業は無駄な作業ではないか」と思ったらすぐに省くのではなく、その必要性について考えるのです。

 

短期的に見たら無駄かもしれないけど、長期的に見たら必要なことであるかもしれません。

 

雇う側としては人件費はできるだけ無駄をなくしたいが、今多くの人件費を使い、将来的に大きくなりそうだと考えることも大事だと思います。

 

野球の動作においても一緒だと思います。

 

投手が速い球を投げるためには無駄な動きだけど、出所を見づらくする上では必要性があるかもしれないなど、他の観点から物事の必要性を考えることができます。

 

 

 

「時間」は無駄や必要性を考える上でみなさんに共通することだと思います。

 

同じ1日を振り返っても「今日は無駄な1日を過ごしたな」と思うのか、「今日はどんな1日だったかな。だらだらしたけど日頃の疲れは取れたし、面白いテレビ番組見つけたからよかった」と思うのかで捉え方は変わってきます。

 

 

いままで無駄だと思っていたことが無駄に思わなくなり、むしろ必要不可欠なことになるかもしれませんね(^^)

 

アンコールワットはがばい広かった

 

こんにちは(^^)

 

私はまだカンボジアにいます。

 

せっかくカンボジアに来たので楽しい観光の投稿でもします。

 

 

12月8日、午前6時に私はタイのスラサックにある宿を出発しました。

 

電車とバイクタクシーを使ってたら約1時間半かけてバンコク北バスターミナルに到着しました。

 

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私は9時発のバスを予約していたのですが、初めての海外で不安もあり、余裕を持って出発しました。

 

9時になるとバスはシェムリアップに向けて動き始めました。

 

3時間ほど経過すると、途中サービスエリア的なとこで休憩がありました。

 

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そこからまた2時間ほど走るとついにカンボジアとタイの国境に着きました。

 

国境では入国審査があり、かなりの行列であったため、約1時間待ちました。

 

さらに私はビザ申請もしていなかったちめ、国境でビザ申請をしました。

 

ここではビザ代行の人たちにめちゃくちゃ声をかけられて、かなりぼったくられそうになりましたが、ビザ申請の相場が1500バーツと知っていたので、それ以上のお金は支払わないようにしました。

 

国境を超えるといよいよシェムリアップ到着です。

 

バスを降りて、帰りのバスを予約すると、トゥクトゥクの運転手にツアーを申し込まれました。

 

内容はアンコールワット観光です。

 

とりあえず予定がなにもなかった私は相手の言うがままにツアーを組んでしまいました。

 

すると明日の朝5時に迎えにくるからと言われどっかに行ってしまいました。

 

 

そして次の日、朝5時になると本当に迎えに来てくれてて、そのままアンコールワットの入場料を支払い、アンコールワットで日の出を見ました。

 

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日本の世界遺産とは規模の違う大きさに圧倒されながら、気持ちの良い朝を迎えることができました。

 

 

私は高校時代、世界史を選択しておらず、また、世界史が苦手であったため、アンコールワットの歴史について無知でした。

 

しかし、それでも行ってよかったと思えるなにかがあるのでみなさんにもお勧めします。

 

 

アンコールワットはメインの遺跡ですが、アンコールワット遺跡群には他にも多くの遺跡があります。

 

遺跡間の移動は全てトゥクトゥクで、私が回ったコースはショートコースだったらしいのですが、それでも半日以上費やしました。

 

アンコールワットを全部回るには1日あっても足りないくらいみたいです(^^)

 

とりあえず、広すぎて、暑すぎて、歩きすぎて、途中遺跡でお昼寝しそうになりました笑

 

 

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日本では見ることができない遺跡を自分の目で見ることができてよかったです(^^)

 

 

 

最後お昼に撮ったアンコールワットで(^^)

 

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育った環境の違い

 

こんばんはー

 

私は今カンボジアにいます。

 

カンボジアにいてもこのように投稿できるというのは素晴らしいです。

 

現代技術に感謝です(^^)

 

 

今夜は育った環境の違いについて。

 

私は3日前からタイに行っており、今日はカンボジアシェムリアップに移動して来ました。

 

私は今回が初海外だったのですが、本当に色々な人がいるのだなと思いました。

 

タイ、カンボジアに行ったにも関わらず、ミャンマー出身の人やドイツ出身の人と多くの会話をしました。

 

また、タイのシーロム駅の歩道橋には夜10時頃に子供が床に座っておにぎりを売っていました。

 

国境を超えたすぐで女の子が私の後ろについて来てお金をせがまれました。

 

彼ら彼女らは私と育った環境が大きく違うことによって生きていく道も異なったのだと思います。

 

ただ、私は彼ら彼女らをかわいそうだと思いません。

 

たぶん彼ら彼女らも私のことを羨ましいとも思わないと思います。

 

それは互いに今現在まで育った環境を基準にすると違いがありますが、仮に私がカンボジアで生まれ、カンボジアに育ったのならその女の子のような生活であっただろうし、それが当たり前になっていたのだから羨望も不幸も感じることはないと思います。

 

境遇だけでなく、考え方までも環境に染まってしまうと思います。

 

例えばタイのバイクタクシーの人々。

 

彼らは私のようなタイのことをよく知らない外国人からお金をたくさん取ろうとします。

そして、その行為を悪いことだと思っていません。

 

日本に育ったのなら、人から騙してお金をとることはよくないことだと自然に身につくでしょう。

 

 

私のアルバイト先にはネパール人がいます。

 

彼はよく遅刻をします。

 

これも育った環境の違いによるものだと思います。

 

日本は時間に正確です。

 

ネパールでは時間にルーズなのかもしれません。

 

 

それもこれも互いの文化を知らないと分からないことばかりです。

 

日本は島国で、国内が発展しているので出稼ぎに出国する必要もないですし、日本に居続けた方が幸せかもしれません。

 

グローバル化が進み、在日外国人も増えるもなると、その国の文化、歴史的背景、宗教など知っておかないと分からないでは済まないことになるかもしれません。

 

 

明日は朝からアンコールワット行ってくるのでもう寝ます。

 

おやすみなさい(^^)

 

 

相手のことを考えてる気になってしまうこと

 

こんにちは

 

しばらく間が空いてすみません。

 

今日は相手のことを考えた行動や言動について。

 

 

最近私はアルバイトに入る機会が多く、様々なことを考えされられています。

 

そのうちの一つに「誰のために働くか」ということです。

 

真面目な人ほどお店のために働くとかお客様のために働くと考えると思います。

 

その考え自体は素晴らしいものだと思いますが、一歩間違えればストレスにもなります。

 

それこそお金稼ぎとしか考えていない人は最低限の仕事しかせず、楽しようとするので、真面目な人からすれば非常に腹ただしく、苛立ちを覚えるはずです。

 

そして、その真面目な人が不機嫌になることでアルバイト全体の雰囲気も悪くなり、全員の仕事能率が下がる。

 

すると人件費に対するパフォーマンスができなくなり、お店としてはダメージを受け、お客様へのサービスのクオリティーも落ちる。

 

これでは本末転倒なお話です。

 

 

真面目な人に陥りがちなことだと思います。

 

このような状況にならないためには、本当に突き詰めて考え、自分の振る舞いが周りに与える影響、コーチング、マネジメント、セールスなどなど多岐に渡って考えなければいけません。

 

簡単なことではありませんが、お店のため、お客様のために働くと考える真面目な人はもう一歩突き詰めて考えると結果も伴ってくると思います。

 

 

チームのため

 

こんばんはー

 

今夜は「チームのため」について

 

 

団体競技や集団で動く時、チームのために動けと言われることがあります。

 

私はこの「チームのため」という言葉が大っ嫌いです。

 

私は野球をしていましたが、どのチームに所属しても「チームのために」という言葉を聞いてきました。

 

「チームのため」といいつつも、一人一人に与えられるこの言葉の意味は大きく異なっていると思います。

 

例えば試合に出場する選手は自分が試合で活躍すればいい。それがチームのためだと。

 

しかし、試合に出ない選手はどうだろうか。

 

レギュラー選手のサポートをすることがチームのためだと言われる。

 

 

前者は自分がやりたいことをやっているだけで後者は自分を押し殺してする行動だと思う。

 

どちらが辛いかと聞かれたら私は圧倒的に後者だと思う。

 

本当にチームのことを考えて行動しているのは後者なのに、後者は少しでも隙があるとチームのことを考えろと怒られる。

 

前者は大してチームのことを考えずに、自分自身楽しんでいるだけなのに否定されることなく評価される。

 

 

だから私はチームのためという言葉が大っ嫌い。

 

自分になんとか言い聞かせて文句も言わずにひたむきに努力しても、それは誰にも評価されないしむしろ自分自身で否定してしまう。

 

同じ理由で結果より過程を重視する考えも嫌いで、結局は結果しか求められてないし、頑張ってるとかほとんど価値がない。

 

 

いつも論理的に物事を考えてしまう私ですが、今夜は少し感情的になって自己中心的な考えになってしまいました。

 

それでも、その心から溢れてくる感情というのは大事だと思っているので、率直な感情を投稿しました。

 

 

おやすみなさい(^^)